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Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

甘粛--莫高窟・敦煌


「後進に道を譲る5」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省「敦煌の街」の写真を公開しています。

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「嘉峪関」より5時間の道のりをバスで敦煌へ向かった。
夕方敦煌の街へ着いたが、何故か辺りは明るかった。
時計を見ても中国時間7時近かったので暗くなってもと、
思ったが、この辺りまで来ると日本との時差が3時間あり、
暗くなるまでに時間があり、何となく得した気分がした。

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街は思ったよりは綺麗に掃除されホテルより少し歩くと、
ロータリーの中央に琵琶を弾く天女の像が立っている。
莫高窟の石窟の壁画にある反弾琵琶の図を彫刻にしたもので、
下の写真の反弾琵琶を弾く天女は敦煌のシンボルである。
その後、何人もの演奏家が背中で琵琶を弾こうと試みたが、
誰人も背中で琵琶を弾く事ができなかったエピソードもある。

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「後進に道を譲る4」のつづきより
私の左眼球内よりの鮮血出血が気になり病院へ行ってきた。
毎回思う事ではあるが、中国の病院は患者が多い。
私は眼科の中でも専門の医師を頼んで診察して頂いた。
診察結果は「結膜下出血」との事で、目薬とビタミンEの、
薬が出され、医師よりは10日間ほどすれば治るとの事。

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原因は何かと聞いた所、ハッキリとは分からないとの事を、
話しながらも、疲労から来る左眼球の出血だろうと思うと。
何か思い当たる節が有りますか?と逆に質問された。
思い当たる節が、この3週間有り過ぎて、何が何だか自分でも、
正直分からない。しかし、壮年に多く発生するので注意が、
必要で安静にしているよう言われたが、心は焦る。つづく

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「琵琶を背に弾く天女の像」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省「敦煌の街」の写真を公開しています。

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一人旅のために夜の食事などは自分で済ませる事になる。
食事を敦煌の街の片隅のレストランとで「醸皮子」を、
注文したところ、売切れてしまったとの事だった。
「醸皮子」は酢が利いていて日本人の口に合いますよと、
ガイドから聞いていたが、一般に粉皮と呼ばれるものである。

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仕方なく「敦煌黄麺」を頼んだところ問題なかった。
この敦煌では四川料理の唐辛子の辛さが効いているので、
これに関してもガイドから「何も言わなければ辛いから、
あまり辛くしないでと頼んだ方が良いですよ」と、
言われていたので、唐辛子は入れないように注文を付けた。

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唐辛子は入れないようにと頼んだにもかかわらず辛くて、
汗が噴出した。女の子が「全く唐辛子を入れなかったら、
美味しくないので、少しにするようにしたのですが・・」と、
半分笑みを浮かべながら、私の方ばかり見ていた。

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外へ出ると既に暗くなっており、街並みにはネオン電球が、
飾られ綺麗に輝いていた。顔のほてりを感じながらも、
明るい時に見た琵琶を弾く天女の像が気になり行って見た。
ロータリーの中央に琵琶を背に弾く天女の像は明るい時とは、
また感じが違いライトアップされたその姿を写真に収めた。

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「敦煌の映画を見た時」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「莫高窟」の写真を公開しています。

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敦煌の街より車で30分ほど走ると世界文化遺産の敦煌、
莫高窟へ着いた。敦煌へは中国へ来た当時より是非にも、
行って見たかった所であったので望みが叶い嬉しかった。
敦煌に関しては中学や高校時代にも地図で見ていた。

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学生時代には仏閣や仏像に興味を持つようになると、
写真ではなく敦煌の石窟をどうしても見てみたかった。
自分で工場を始め100人近くの従業員を抱える頃には、
敦煌の事など全く頭に浮かばなかったが、西田敏行の、
敦煌の映画が放映されると真っ先に映画館へ見に行った。

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井上靖の原作の敦煌の映画を見た時には感動した。
2回映画館へ行ったしテレビでも放映したので、もしも、
中国へ行くような事があったら真っ先に敦煌へ行きたいと、
その頃には、ただ漠然と思っていたが、4年後には、
中国行きが現実のものとなったが、広東省で遠過ぎた。

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広東省に居る頃には毎日のように中国の地図を見ていた。
地図を見ると行きたい所ばかりだったし実際旅の計画を、
立てる頃には休み日数の制限を受け、中々思うような、
旅が出来なかったが、今回敦煌へ来れて本当に嬉しく思う。

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「門から射す陽の光が頼り」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「莫高窟」の写真を公開しています。

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「莫高窟」の入り口に近付くに従って武者震いがした。
「莫高窟」とは仏教遺跡の事であるが、この中から出た、
敦煌文献でも有名で、敦煌石窟とも呼ばれている。

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敦煌は1961年に、全国重点文物保護に指定され、
1987年にユネスコの世界遺産に登録された事でも、
知られているが日本人には1988年に放映された映画、
井上靖原作の敦煌で知られている(中は撮影禁止)

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入り口で全てのカメラを預けなければならなくなっており、
石窟内の世界文化遺産の撮影は出来なくなっていた。
また各石窟の門には二つの鍵が付けられ莫高窟ガイドと、
莫高窟の警備側は持っており、簡単には開けられない。

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敦煌石窟内は、目を凝らさないと見えないくらいに、
暗くなっており、入り口門から射す陽の光が頼りだった。
莫高窟ガイドも専門に学習したガイドであり、私の語学力が、
もっと高ければと悔やんだりしたが70%は理解できた。

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「心洗われる思いがした」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「莫高窟」の写真を公開しています。

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敦煌「莫高窟」を象徴する朱紅色の楼閣「九層楼」の中を、
今回始めて見たが、大仏が中にありその大仏を覆う楼閣と、
いうことは分かっていたが、実際に中に入ってみて驚いた。

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誰もが知る奈良の大仏様の高さは14.7メートルである。
私が始めて奈良の大仏を見たのが小学校の修学旅行で、
こんなに高い仏像をどうやって作ったのだろうと、
相当長い間見ていた記憶があるが、それよりも遥かに高い。

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まだ訪れていないが四川省の楽山大仏は71mで世界一。
アフガニスタンで爆破されたバミヤン西大仏が55m。
四川省の栄県大仏37mで、敦煌の大仏は34.5mである。
奈良の大仏を始めて見たときは12歳の時で、世の中の、
何たるかも分からない時で大きく見えた事は確かである。

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私は12歳の何も知らない無垢な時に敦煌の大仏を見ていたら、
さぞ衝撃的に心に刻まれていた事だと思う。3歳半で母を、
無理心中で亡くし、その後、紆余曲折の人生を歩んできたが、
敦煌の大仏を見て心洗われる思いがした。ただ、カメラを、
没収され撮影禁止で中の画像が無いのが心残りである。

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「四面の壁面には壁画」

「中国上海写真ライフ」では、
甘粛省敦煌「莫高窟」の写真を公開しています。

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「莫高窟」の出口でカメラを旅行客に返している所を、
見た私は急ぎ出口へ急ぎカメラを頂くと「莫高窟」の、
外観を柵から身を乗り出して撮影した石窟であるが、
石窟の中の様子は残念ながら撮影出来ていない。

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366年に鳴沙山の東に夕日を浴びて輝く千仏の姿を感じ、
石窟を築き修業したとの事であるが、そんな簡単に岸壁を、
彫れるものではないと思いながら代表的な石窟を見学した。
366年から1366年まで石窟は掘り続けられ石窟の数は、最終
1000個までになったが現在は492の石窟が保存されている。

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古い時代の石窟は中心部にあり、両端部へ行くに従い新しい、
石窟が集中しているとの事で、どの石窟も正面奥の上に、
塑像が並んでおり、また四面の壁面には壁画が描かれていた。
造られた時代によって、石窟の構造や仏像の顔やポーズが、
それぞれに違っていると説明を受けたが中国語の理解度は??

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左端を歩いて来る女性が敦煌「莫高窟」の専属ガイドである。
大学を卒業して2年になる24歳の女性で、ガイドをするために、
石窟の彫られた時代背景や仏僧画、仏の生涯を伝える絵や、
伝統的な神話・伝説の内容を絵、また仏教史跡画などの内容を、
覚えるのに時間が掛かったとの事で、今でも勉強を続けている。

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